失敗は起きても小さいが潜在的な利得は大きいというタイプの試行錯誤「ティンカリング」

ナシーム・ニコラス・タレブ「反脆弱性 上」より、様々な場面にて有用であろう、と思えるテクストを抜粋する。

時に、私たちは試練を生き抜いた人たちを見て、「生き残った集団が元の集団より強くなっているところを見ると、この試練は彼らにとってプラスなのだ」と考えてしまう。別の見方をすれば、その試練は耐えきれない人を死に追いやる、過酷な試練にすぎないのかもしれない。このとき起きているのは、前にも話したとおり、個人からシステム全体への脆さ(いや、反脆さ)の移転だ。別の言い方をしよう。生き残った集団は明らかに元の集団よりも強い。しかし、個人を見ればそうではない。弱い者が死んだのだ。システム全体の向上のために、誰かが犠牲を払ったわけだ。

P135 第4章「私が死ねば、誰かが強くなる」

最悪のブラック・スワン・シナリオとして、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは自分の死だ。でも、それは違う。近代経済学にどっぷりと浸かっている人でもなければ、自分の死+最愛の人の死+人類の滅亡のほうが、自分だけの死よりももっと悪いと認めてくれるはずだ。複雑系についての私の意見を思い出してほしい。私たちは巨大な鎖の一部にすぎない。私たちが気にかけているのは、人間とシステム全体、そして巨大な鎖を構成する要素を守ることなのだ。

P139 第4章「私が死ねば、誰かが強くなる」

君たちの大半は失敗し、侮辱され、金を失うだろう。だが、君たちが地球の経済を成長させ、他者を貧困から救うために冒したリスクと犠牲に、われわれは感謝している。君たちこそ反脆さの源なのだ。国家から君たちに感謝の意を表する。

P141 第4章「私が死ねば、誰かが強くなる」

もうひとつ、スイスには別の性質がある。スイスはたぶん歴史上でもっとも成功した国だが、ほかの富裕国と比べると、大学教育のレベルはかなり劣っている。スイスのシステムは、私がトレーダーだったころの銀行業界でさえ、徒弟制度に基づいていた。理論的というよりも職能的なモデルだ。言い換えるなら、「エピスメーテー」(本や教科書的な知識)ではなく、「テクネー」(技術や実践的な知識)に頼っていたわけだ。

P158 第5章「青空市とオフィス・ビス」

こうして見てみると、ストア哲学とは感情をなくすことではなく、手なずけることだ。人間を植物に変えることではない。私は、現代の真のストア哲学者とは、恐怖を思慮深さに、苦しみを教訓に、過ちをきっかけに、そして欲望を実行に変えられる人だと考えている。

P259 第10章「セネカの処世術」

スティーブ・ジョブズは有名なスピーチで、「ステイ・ハングリー ステイ・フーリッシュ」と述べた。たぶん彼が言いたかったのは、「常軌を逸しろ。だが、最大のチャンスが訪れたら、それをつかめるだけの理性は失うな」ということだろう。どんな試行錯誤も、よい結果を正しく見極め、利用することができてこそ、オプションとみなせるのだ。

P300 第12章「タレスの甘いぶどう-オプション性」

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