時代背景に頼らず自分の頭で考えろ「我思う、ゆえに我あり」-ルネ・デカルト

哲学史上、おそらく最も有名な命題の一つが、ルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」で、これをラテン語で表すと「Cogit Ergo Sum(コギト・エルゴ・スム)」となる。デカルトは代表作「方法序説」にて、思考の立脚点として、この「我思う、ゆえに我あり」という命題を置くことを提案した。デカルトは、どのような思いをそこに込めたのであろうか。

我思う、ゆえに我あり

デカルトが思考の立脚点にしようとした命題「我思う、ゆえに我あり」について、デカルトが言おうとしたのは「存在の確かなものなど何もない。しかし、ここに全てを疑っている私の精神があることだけは、疑いえない」ということだ。これほどまでに自明なことを、これほどまでに大げさに訴えたのはなぜなのか。

これはデカルトが生きた時代に、世間や社会に対し、なによりも声を大にして訴えたかった叫び=シャウトである。当時の権威であったキリスト教やストア哲学に対し喧嘩を売りながら「徹底的に自分の頭で考えろ!」という魂の叫び。これがどれほどすごいことなのか、デカルトが生きた時代背景を知らずに共感することは難しい。

どちらが真理なのかを争い続けたカトリックとプロテスタント

人類史における、ヨーロッパ最大の宗教戦争である三十年戦争のあいだに書かれたのが「方法序説」で、ともすればデカルトも、この宗教戦争の時代を生きた哲学者ということだ。三十年戦争とはキリスト教におけるカトリックとプロテスタントによる戦いで、信仰や教義のあり方について「どちらが真理なのか」ということを争っていた。

キリスト教における信仰や教義を研究するのは神学者となるわけだが、この時代にはカトリックとプロテスタント、両者の神学者により「こちらこそが真理である」という主張のおびただしい論文が排出された。しかし当然ながら決着がつくことはなく、ヨーロッパ中が血で血を洗う大戦争に突入することになる。

愚行の果てに

一旦ここで、カトリックとプロテスタントが争った「どちらが真理なのか」という主張により発生した、ある出来事について記載しておく。ローマ帝国が滅びて以降、中世期に「真理」を司っていたのはローマ・カトリック教会であった。であることを理由に、古代ギリシアから蓄積されていた「真理に関する考察」の多くは、この中世に散逸してしまう。

哲学史において、5世紀くらいの人物であるアウグスティスやボエティウスを最後に、その後13世紀にロジャー・ベーコンやトマス・アクイナスが登場するまで、約800年間ほど著名な哲学者が確認されていない「空白の期間」が存在する。この800年のあいだに、時代を代表するような哲学者が誕生しなかった、と考えるのは余りにも馬鹿馬鹿しい。

そしてこれは哲学だけではなく、自然科学や文学についても同様に見られる現象である。そこから考察するに、この時期、ヨーロッパは800年間という余りにも長期的な知的停滞、さらに言うなら知的退行とでも言うべき状態に陥ってしまっている。なぜ、このような「空白の期間」が存在するのか。

当時のヨーロッパでは、それまで古代ギリシアから積み上げられてきた人文科学・自然科学の分野における巨大な業績を残したアリストテレスの知見や著作は、ほとんどが失われてしまうこととなった。その後13世紀になり、ようやくイスラム世界から逆輸入される形で復活を果たす。

こうした出来事を生み出した背景にあるのは、「真理を追究するのは人ではない、真理は神により司られており、その真理を民衆に示すのは、神と対話ができる聖職者だけである」という、両者共に争ってはいるものの「真理」については共に追求するという姿勢のカトリックとプロテスタントが台頭した結果であり、また社会秩序のあり方だ。

権威を脅かす問題の発生

ところが、年月が進むにつれて問題が起こる。カトリックとプロテスタントがどちらも唱える「真理」による「二重の真理」という問題だ。両者が三十年戦争のあいだ、あるいはそれよりも長い期間を「こちらこそが真理だ」と主張している様を、同時代に生きている民衆も目にしていることになる。

民衆の中から、特に知識人と呼ばれた階層の人たちから「さすがにこれはどっちが正しいとか、そういう問題ではないだろう」と思い始める人が出てきた。「カトリックだろうとプロテスタントだろうと、キリスト教が示す真理」という、余りにも長い時間に続いた物語への、疑いがコップからいよいそ溢れそうになっている。

そうした、時代のティッピングポイントとも言えるときに、デカルトは「この際だから、全部白紙にして、もう一回確実なところから始めてみようじゃないか」と言い始めたのだ。しかし、それでもなお「確実なものとはなんなのか、そもそも確実なものなんてあるのか」という考えがデカルトの頭をめぐる。

神に頼らず自分で考える、という知的態度

目に見える現実すら錯覚や夢かもしれないと考えれば、確実なものなどなにもない。これを「方法論的懐疑」というが、そうやってすべてを疑っていったとき、最後の最後に「疑っている自分がいる、ということだけは疑えない」ということに、デカルトは気付く。

この「確実な地点」から、厳密に考察を積み重ねていきさえすれば、キリスト教や神といったものに頼ることなく、自分の力で真理に至ることができるのではないか。これこそが、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という叫びの骨子というわけだ。デカルトが示した知的態度には、敬服させられるものがある。

自分が生まれ育った場所と時代において、前提となっている論理や倫理といった知的な枠組みをいったん白紙にして、周囲の人たちにも、権威にすらもおもねることなく、自らが厳密に確実性をチェックしながら思考を組み立てようとした、その佇まいには素直に、心からの拍手を送りたい。

そうして辿り着いた真理は

ところで、そうした知的態度により積み重ねた考察の結果、デカルトはどのような「真理」に至ったのか。思考の立脚点である「我思う、ゆえに我あり」を出発点とし、その旅の果てにどこに辿り着いたのか。結論から言えば、デカルトはこの出発点から一歩も外に出ることができなかった。

著書「方法序説」の中で、デカルトは「神の存在証明」にトライする。ここではその詳細と概要すら省くが、現在を生きる私たちにとってみれば到底納得のできるようなものではなく、云わば今でいう詐欺師の方便のような証明であった。「神や教会に頼らず、自分たちで考えよう」というメッセージが、教会の逆鱗に触れることを恐れたのか。

当のデカルト自身も、友人に宛てた手紙の中で「神の存在証明についての数ページが全編の中で一番重要ではあるものの、一番練ることができていない部分」で「出版社に原稿の締め切りをせきたてられるまで、載せるかどうかの決心がつかなかった」旨を告白している。

取ってつけたような違和感は当時からあったらしく、同時代を生きた哲学者のパスカルからも「できることなら、デカルトは『神なし』で済ませたかったんじゃないの」と言われている。こうした結論を踏まえてなお、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という命題からは、様々な洞察を得ることができる。

社会において支配的な枠組みをいったん白紙にし「本当にそうなのか」という姿勢で以て、自分の頭で徹底的に考えることの重要性。そしてまた一方で、余りにも厳密に考えようとすると、テーマによっては意外と不毛な結論しか得られないのかもしれないな、ということだ。

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