ジャン・ジャック・ルソーは、著書「社会契約論」において、市民全体の意思を「一般意志」という概念で定義し、代議制にも政党政治にもよらない「一般意志に基づいた統治」こそが理想である、という考えを提唱した。こうした、組織における集合的な意思決定の仕組みの可能性について、初めて本格的に論じたのがルソーだ。
一般意志を可能とするために
ルソーが2世紀も前に説いた「一般意志」は非常に奇妙な概念だ。後世において多くの社会学者や思想家を困惑させているが、現在の水準までに発達したテクノロジーとネットワークを活用すれば、可能になるかもしれないと指摘しているのが、日本人思想家の東浩紀だ。彼が記した内容を下記に抜粋する。
民主主義は熟議を前提とする。しかし日本人は熟議が下手だと言われる。AとBの異なる意見を対立させ討議のはてに第三のCの立場に集約する、弁証法的な合意形成が苦手だと言われる。だから日本では二大政党制もなにもかもが機能しない、民度が低い国だと言われる。けれども、かわりに日本人は「空気を読む」ことに長けている。そして情報技術の扱いにも長けている。それならば、わたしたちはもはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか。そして、もしその構想への道すじがルソーによって二世紀半前に引かれていたのだとしたら、そのとき日本は、民主主義が定着しない未熟な国どころか、逆に、民主主義の理想の起源に戻り、あらためてその新しい実装を開発した先駆的な国家として世界から尊敬され注目されることになるのではないか。民主主義後進国から民主主義先進国への一発逆転。
東浩紀「一派意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル」
別コンテンツに記した「弁証法」を援用し、歴史がらせん状に発展、つまり「復古」と「進化」が同時に起こると仮定すれば、現代のICTの力により古代ギリシアの直接民主制を、より洗練された形で復活させることができるかもしれない。熟議が下手だと言われる日本人にとって、明るい兆しのように思えるのは確かだ。
成功しているにもかかわらず活用ができない
ここで、地に足をつけ、根本的とも言える大前提から考察する。いったい誰が「一般意志を汲み取るシステムを構築し運営するのか」という問題が露呈する。前述した東浩紀は、そうしたシステムの成功事例としてグーグルを挙げている。不特定多数から得た知を集合知とし、ビッグデータとして活用しているのがグーグル(の検索エンジン)だ。
グーグルが抱える仕組みを拡張させ、社会運営のための意思決定に活用できるのではないか、というのが東浩紀の論旨だ。一方で、グーグルは検索結果を導出するアルゴリズムをブラックボックスとしており、同社においてもごく一部の関係者しかアクセスができない。グーグルのこうした秘密主義は悪名高いことで有名だ。
つまり、グーグルが民主主義と呼び依拠しているものは、一部の限られた人にしか関与できないシステムであり、テクノクラートによって運営されている。「一般意志」を実現可能とするかもしれないシステムと成功事例を有するにも拘わらず、そこに本質的なパラドクスが含まれている。社会の前進の、大きなボトルネックをこれに見ることができる。
一般意志の真実性及びその真意
さて、市民全員の意志を吸い上げるためのシステムとアルゴリズムが、ごく一部の人によって制御されるとした場合。そのシステムから出力されたとされる「一般意志」が、本当にそうであるということの証左は、どうにも調和ができないであろう。むしろ、そうしたことがまかり通ってしまえば、絶対権力に堕する可能性すら出てくる。
こうした問題を予期したかの如く、ルソーは「一般意志が個人に死を命じれば個人はそれに従わねばなるまい」と述べている。余談となるが、これに対し偉大なるコモンセンスの人、バートランド・ラッセルは「ヒトラーはルソーの帰結である」と名指しで攻撃している。
人の、更に言えば個人の、人格や見識が反映されていない集合的な意思決定のシステムには、こうした危険性が潜むことは確かだろうと思う。「膨大なデータ解析の結果、あなたが抹殺されることで社会が大きな利益を得るという結果が出ました」などという事態が起こり得るとすれば、こうしたシステムとその運営者に大きな権限を与えることは、倫理的に許されない。
しかし、集合的な意思決定がうまく機能すると、その集団の中にいる最も賢い人よりも、はるかにクオリティの高い意思決定が可能になるということも想像に容易いのは事実だ。全世界を結ぶ通信技術や、人の心ですら掌握しかねない人工知能がここまで進んだ状況下で、古代ギリシアで行われていたものと本質的に変わらない民主主義運営の仕組みを続けるのか。
現在、誰が音頭をとっているともわからない社会運営とそのやり方に、多くのひとが限界を感じているであろう。だからと言って、プロセスのブラックボックス化を招きかねない一般意志による運営にも、大きなリスクが潜んでいる。この間の落としどころをどう見出すのかが、私たちに向けられた大きな問いの一つだ。

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