この世の「親」に該当する人にとって、頭の良い子供、運動のできる子供は、いったいどのように産み育てればいいのか、ということは大変大きな関心の対象らしく、そのために膨大な情報量が世の中を駆け巡っている。妊娠中は鉄分を取った方がいい、赤ちゃんの脳の発育には青魚のDHAが効く、といった風に、特に女性の方は大変な苦労をされているのでしょう。
しかしながら、多くの「親」が実践していないにもかかわらず、確実に子供の学校面での成績や運動能力が高まる産み方がある、という事実を示す統計的データが存在する、となれば驚きを隠せずにはいられない。その産み方とは、子供を4月に産む、ということだ。
運動面の統計が示すデータ
日本におけるプロ野球選手は、全12球団中809人存在し、全体の約31%にあたる248人が、4月~6月生まれとなっている一方で、約16%にあたる131人が1月~3月生まれとなっている。Jリーグではどうか。18クラブ登録選手454人中、4月~6月生まれは全体の約33%にあたる149人が存在する一方、1月~3月生まれは約16%の71人で約半分しかいない。
国内における人口統計では、誕生月による人口の差はほとんどないという数値が示されており、月別の出生率は8.3%、四半期では25%となっている。したがって、プロ野球とJリーグともに4月~6月生まれの登録選手が31~33%であるという事実は、確実に「何かが起きている」ことを示唆している。
勉強面の統計が示すデータ
一橋大学の川口大司准教授によれば、日本の中学2年生約9500人と、小学4年生約5000人の、数学と理科の平均偏差値を誕生月ごとに算出した結果、4月から順に月を下って3月まで、綺麗に平均偏差値が下がること、4月~6月生まれの平均偏差値と1月~3月生まれの平均偏差値とでは、およそ5~7程度の差があることがわかっている。
偏差値で5~7の差という数値が示すのは、志望校のランクが1段違うという事実となり、これは下手をすると人生にインパクトを与える差になりかねない。たしかに、例えば小学1年生であれば、4月生まれと3月生まれの子で学力に差が発生するということは感覚的に納得ができる。
小学1年生は7歳であるから、4月生まれとなると誕生以来84ヵ月の学習を積み重ねている一方、3月生まれは73ヵ月の期間しかないことになり、生まれてからの学習期間の差は13%となる。全体の学習量の累積が1割以上違うのであれば、それはそれで、それなりの差が発生するということは納得できる。
ところが川口准教授の研究では、中学2年生と小学4年生でも同様に、4月生まれと3月生まれとでは差があることがわかっている。中学2年生は14歳、4月生まれであれば誕生以来168ヵ月の学習、3月生まれであれば157ヵ月の学習ということで、その差分は7%弱にまで縮まる。この差が、偏差値において5~7の差に繋がるというのは、学習理論の枠組みに当てはまらない。
マタイ効果による差異の発生
先述した差異は、化学社会学における「マタイ効果」により説明可能だと考えられている。化学社会学の創始者ロバート・キング・マートンは、条件に恵まれた研究者は優れた業績を挙げることでさらに条件に恵まれる、という「利益ー優位性の累積」のメカニズムの存在を指摘している。
新約聖書「マタイ福音書」より
おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう
これは新約聖書のマタイ福音書の一節で、マートンはこれを借用することで、メカニズムを「マタイ効果」と命名した。改めて、「マタイ効果」がもたらす事例について記載する。
例えば、ノーベル賞受賞者は、その生涯をノーベル賞受賞者であり続けると共に、学会で有利な地位が与えられ、化学資源の配分に始まり、共同研究、後継者の養成においてますます大きな役割を果たす。一方で、無名の新人科学者となれば、論文は学術誌に受理されにくく、業績の発表すら著名科学者に比べ不利な位置におかれることになる。
子供にも作用されているのではないか
この「マタイ効果」が、どうやら子供たちにも作用しているのではないか、という仮説は以前より教育関係者の間で議論されている。同学年で野球チームを作る場合、4月生まれの方が体力面でも精神面でも発育が進み、どうしても有利な場合が多くなる。結果的にチームの主力に選ばれ、より質の高い経験と指導を受ける可能性が高まる
人は、特に幼少期から10代の期間、成長の機会を与えられるとモチベーションが高まり、認められているという事実からも、より一層の練習に励むようになることで、そうではない人とますます差がひらく。4月生まれは3月生まれより運動も勉強もできる、という統計的事実について、もう少し考察の射程を広げてみる。
年齢に関係のない学習機会の在り方
「マタイ効果」は、組織における学習機会の在り方について、私たちに大きな反省材料を与えてくれる。私たちは、「飲み込みの早い人」を愛でる一方で、なかなか立ち上がらない人をごく短い期間で見限ってしまうという、とてもよくない癖をもっている。それはいったいなぜなのか。学習や教育のためのコストが無限ではないことが、その理由だ。
会社にける教育投資でも、社会資本としての教育機会でも、同様のことが考えられる。「より費用対効果の高い人」に教育投資を傾斜配分してしまう傾向はどこも顕著で、それ故に初期のパフォーマンスの結果により、できる人はさらに機会が与えられ、結果としてパフォーマンスを高める一方、できない人をますます苦しい立場に追いやってしまう。
そうしたことが続けば、「物分かりの早い器用な人」ばかりが組織内に増えていく中で、「嚙み砕くのに時間はかかるが本質的にモノゴトを理解しようとする人」を、疎外してしまう可能性がある。そうして、所謂「いい子」と形容される人ばかりとなってしまった組織は、中長期的には脆くなってしまうのではないか。
4月生まれの子供は運動も勉強もできる、という、発生学から考えればとても不自然な事実は、私たちに、人を育てるにあたって、初期のパフォーマンスの差異をあまり意識するということはせず、もう少し長い眼で、人の可能性と成長を考えてあげることが必要である、ということを教えてくれる。

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