あえて難癖を付ける人の重要性「悪魔の代弁者」-ジョン・スチュアート・ミル

「悪魔の代弁者」とは、多数派に対しあえて批判や反論をする人のことである。あえて、とはつまり、その人の人間性や性格が天邪鬼であるということではなく、そうした「役割」を意図的に負うという意味合いとなる。

悪魔の代弁者

「悪魔の代弁者」という用語はジョン・スチュアート・ミルの造語ではなく、元々はカトリック教会において用いられていた用語で、カトリックにおける列聖や列福の審議に際し候補者の欠点や証拠としての奇跡の疑わしさを指摘する役割が、「悪魔の代弁者」として正式に設定されていた。

この「悪魔の代弁者」が、なぜジョン・スチュアート・ミルと関連付けて紹介されるのか。それはミルが、著書の「自由論」において健全な社会の実現における反論の自由の大切さについて、繰り返し指摘しているからだ。

ミル「自由論」より

ある意見が、いかなる反論によっても論破されなかったがゆえに正しいと想定される場合と、そもそも論破を許さないためにあらかじめ正しいと想定されている場合とのあいだには、きわめて大きな隔たりがある。自分の意見に反駁・反証する自由を完全に認めてあげることこそ、自分の意見が、自分の行動の指針として正しいといえるための絶対的な条件なのである。全知全能でない人間は、これ以外のことからは、自分が正しいといえる合理的な保証を得ることができない。

この指摘はアダム・スミスの「神の見えざる手」に通じるものがある。ミルが自由論の執筆において目論んでいたのは、アダム・スミスが国富論において指摘した「経済分野における過剰な統制への拒否」を、政治や言論の分野においても同様に展開することだった。

市場原理により価格が適切な水準に収れんするのと同じく、意見や言論も多数の反論や反駁をくぐりぬけることで、やがて優れたものだけが残るという考え方は、優れた意見を保護し劣った意見を排除するという統制の考え方と、真っ向からぶつかり合うこととなる。

意思決定におけるクオリティの高低

組織における意思決定のクオリティは、多種多様な侃々諤々の意見交換が行われれな行われるほど高まることが、多くの実証実験により明らかにされている。ミルはそれを150年前に確信していたということになる。

思想や信条を抑圧することの危険さ

ミルの指摘は、反論を抑え込むこと、つまりは思想や信条を抑止することの危険さにも繋がる。多種多様な反論に耐えられた言論が優れたものだとすれば、反論を封じ込めることで「言論の市場原理」は機能不全に陥ることとなる。

時代ごとに処刑されたソクラテスやイエスは、現在においては歴史上の偉人としてその思想や信条が広範囲の人に受け入れられている。ミルはこの事実をとりあげ、ある時代における悪は、時代を経ることで善になりうる、とも指摘している。

これはつまり、あるアイデアの是非は、その時代におけるエリートの統制によって決定できるようなものではなく、長い時間をかけて、いろんな人々による多面的な考察を経ることでしか、判断できないということを示唆している。

その人の判断がほんとうに信頼できる場合、その人はどうやってそのようになれたのだろうか。それは、自分の意見や行動にたいする批判を、つねに虚心に受けとめてきたからである。どんな反対意見にも耳を傾け、正しいと思われる部分はできるだけ受け入れ、誤っている部分についてはどこが誤りなのかを自分でも考え、できればほかの人にも説明することを習慣としてきたからである。ひとつのテーマでも、それを完全に理解するためには、さまざまに異なる意見をすべて聞き、ものの見方をあらゆる観点から調べつくすという方法でしかないと感じてきたからである。じっさい、これ以外の方法で英知を獲得した賢人はいないし、知性の性質からいっても、人間はこれ以外の方法では賢くなれない。

意思決定の品質が著しく低下してしまう場面

集団における問題解決の能力は、同質性とトレードオフの関係にある。心理学者のアービング・ジャニスは、ビッグス湾事件、ウォーターゲート事件、ベトナム戦争などの「高学歴のエリートが集まり極めて愚かな意思決定をした」事例を数多く研究し、結果としてどんなに個人の知的水準が高くても、同質性の高い人が集まると意思決定の品質は著しく低下するということを明らかにした。

ジャニスの研究以外にも、多くの組織論の研究が、多様な意見による認知的な不協和がクオリティの高い意思決定につながることを示している。どんなに知的水準の高い人でも、似たような意見や志向を持った人たちが集まると、知的生産のクオリティは低下してしまうということだ。

そうしたときに求められるのが「悪魔の代弁者」である。多数派の意見がまとまりつつあるときに、重箱の隅をつつくかの如く難癖をつける。そうした結果、それまで見落とされていた視点に気づくことで、貧弱な意思決定に流れ込んでしまうことを防ぐことが可能となる。

昨今、頭脳明晰な人材が集まっているはずの大企業が噴飯ものの不祥事を続発させているが、そうした局面だからこそ、重大な意思決定局面における「悪魔の代弁者」の活用について、積極的になるべきではないだろうか。

ジョン・スチュアート・ミル

ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806年5月20日 – 1873年5月8日)は、19世紀のイギリスの哲学者、政治経済学者、倫理学者として広く知られています。ミルは、自由主義思想の代表的な論者であり、功利主義(ユーティリタリアニズム)の発展に大きく貢献しました。また、個人の自由、平等、女性の権利、民主主義といったテーマを扱い、その思想は現代においても重要な影響を与えています。

生い立ちと教育

ミルは、著名な哲学者・経済学者であったジェームズ・ミルの息子として、ロンドンに生まれました。幼少期から父の指導を受け、非常に厳格な教育を受けました。彼は、ギリシャ語やラテン語を学び、10代の頃にはすでに高度な数学や論理学を理解していたとされています。この徹底した教育はミルの知的成長に大きく寄与しましたが、同時に若年期に精神的な疲弊をもたらし、20代前半に一時的な鬱状態に陥ることもありました。

功利主義(ユーティリタリアニズム)

ミルは、ジェレミー・ベンサムの功利主義を発展させた人物です。功利主義は、「最大多数の最大幸福」という原則に基づき、道徳的な行為は社会全体の幸福を増大させるものであるべきだとする倫理学の理論です。

質的功利主義

ベンサムの功利主義は、幸福を量的に捉え、快楽の大小に基づいて行為を評価しましたが、ミルはこれを改良し、幸福や快楽には質的な差異があると主張しました。彼は、「高次の快楽」(例えば、知的活動や精神的満足)と「低次の快楽」(身体的な快楽)を区別し、高次の快楽の方がより価値があると考えました。

有名な言葉:「満足した豚であるよりも、不満足な人間である方がよく、満足した愚者であるよりも、不満足なソクラテスである方がよい」。

個人の自由と功利主義の調和

ミルは、個人の自由を非常に重視しましたが、同時に功利主義と矛盾しない形でこれを捉えました。つまり、個人の自由は、他者に害を与えない限りにおいて最大限尊重されるべきであり、社会全体の幸福に貢献するものであるべきだという立場です。この考え方は、彼の自由論における中心的テーマです。

『自由論』 (On Liberty, 1859年)

ミルの最も影響力のある著作の一つが『自由論』です。この著作でミルは、個人の自由と社会の干渉の関係について深く考察し、個人の自由を守るための基本的な原則を提示しました。

自由論の核心

  • 危害原則(Harm Principle):個人の行動は、他者に害を与えない限り、自由であるべきだという考えです。これは、個人の自由を守るための基本的な枠組みであり、政府や社会が個人の行動に干渉する場合、その唯一の正当化は、その行動が他者に害を及ぼす場合に限るべきだと主張しました。
  • 言論の自由:ミルは、言論の自由を絶対的に守るべきだと考えました。彼は、たとえ一つの意見が社会全体で少数派であったとしても、それが完全に黙殺されるべきではないと強調します。少数意見であっても、それが真実である可能性があるため、討論や反論を通じて真理を探求するために必要だとしました。
  • 個人の自立と自己実現:ミルは、自由が個人の成長や自己実現にとって不可欠であると考えました。個々の人間は、自らの生活や選択を追求する権利があり、それが他者に害を及ぼさない限り、誰もが干渉するべきではないとしました。この自由な自己実現こそが、最終的に社会全体の幸福に貢献すると考えました。

『功利主義論』 (Utilitarianism, 1863年)

この著作は、ミルが功利主義の理論を説明し、特に道徳哲学における功利主義の基礎を強調した作品です。彼は功利主義を擁護しつつ、道徳的な判断が快楽と苦痛に基づくものであることを論じました。

功利主義の倫理的基盤

ミルは、個々の行動が社会全体の幸福にどれだけ貢献するかが、その行動の道徳的価値を決定すると考えました。ただし、単に快楽や幸福の量を重視するのではなく、行動の結果として得られる幸福の質も評価基準に含めました。

女性の権利と平等

ミルは、女性の権利に関する著作も執筆しており、特に『女性の解放』(The Subjection of Women, 1869年)において、彼の進歩的な見解を展開しています。この著作でミルは、女性が男性と同じ権利を持つべきだと主張し、当時の社会的な性別役割の固定観念に異を唱えました。

ミルは、男性による女性の抑圧は、社会における重大な不正であり、女性が社会的、政治的、経済的に平等な権利を持つべきだとしました。また、女性が教育や職業において自由に参加できることが、社会全体の幸福に繋がると考えました。

政治経済思想

ミルは、経済学においても重要な思想家です。彼の著作『経済学原理』(Principles of Political Economy, 1848年)は、古典派経済学の集大成とされていますが、同時に社会主義的な要素も含まれており、貧困問題の解決や労働者の権利保護についても積極的に議論しました。

ミルは、資本主義の欠点を認識しつつ、労働者階級の権利や福祉の向上を重視しました。彼は、労働者が自己管理する協同組合や、富の再分配を行う仕組みが、社会正義の実現に役立つと考えました。

コメント