フロムの主著「自由からの逃走」は、私たちの「自由」に対する認識に大きな揺さぶりをかけてくる。
現代に生きる人の多くは、「自由」を無条件によいものだと認識している。一般市民が中世以来続いた封建制度から解放されるのは、ヨーロッパでは16~18世紀にかけてルネサンスと宗教改革を経てから、日本では明治維新以降となる。
この過程で市民は、多くの犠牲を払うことで「自由」を手にした。犠牲の上で手に入れた自由で、人は本当に幸せになれたのだろうか。
耐え難い孤独と痛烈な責任
フロムは、ナイスドイツのファシズムに注目する。なぜ、高価な代償を払って手にした「自由」を味わった近代人が、それを捨て、さらにはファシズムの全体主義に熱狂したのか。
自由の代償として必然的に生まれる刺すような孤独と責任の重さに多くの人は疲れ果て、結果「自由」を投げ捨てナチズムの全体主義に傾斜することを選んだ。
これが、フロムの分析をまとめた結論と言える。
支持者となった人々と現代日本の共通項
ナチズム支持の中心となったのは、小さな商店主、職人、ホワイトカラー労働者であり、これは下層及び中産階級にあたる人々である。
現代日本において、自由な働き方がリアルでもネットでも声を大にして言われているが、その発信源、あるいは発信の対象となっているのも、下層及び中産階級の層である。
権威に盲従する人々に共通する性格
フロムは、ナチズムを歓迎した下層中層階級の人々が、自由から逃走しやすい性格、自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めやすい性格であるとした。
権威主義的性格と名付けられたこの性格の持ち主は、権威に付き従うことを好む一方で、他方では自ら権威でありたいと願い、他の者を服従させたいとも願っている、と説いた。
つまりは、この権威主義的性格こそが、ファジズム支持の基盤となったものである、ということだ。
現代の私たちにとって
フロムの考察・指摘は、現代を生きる私たちにどのような示唆と洞察を与えてくれるのか。
企業や地域などの束縛を離れ、自由に生きることを絶対善と崇め奉りながら、そこに疑いの余地がないものとし様々な施策を講じている。
パラレルキャリア、働き方改革、第四次産業革命。これらは、中世から近代、そして現代へと続く「自由・解放」という大きく長いベクトルの上にある。
より幸福で豊かな生を送ることができるのか
私たちはどのような生を送ることができるのか。フロムの分析をたどれば、「自我と教養の強度による」という結論に落ち着く。
自由が突き付けてくる重荷に対し、人はあまりにも訓練されていない。自由の追求をあきらめ全体主義の衆愚に陥るのか。職業が世襲され身分が固定されていた中世のような世の中に戻るのか。
自由が突きつけてくる孤独と責任を受け止めながら、自分らしい生のための精神力と知識を有する人を育てるのか。確かなのは、こうした選択肢を選ぶのは、現代の私たちである、ということだ。
エーリッヒ・フロム
エーリッヒ・フロム(Erich Fromm、1900年3月23日 – 1980年3月18日)は、ドイツ生まれの精神分析家、心理学者、そして社会思想家です。彼は人間の心理や人間関係、社会の問題についての著作で知られています。
愛と自由の心理学: フロムは、愛と自由の概念に焦点を当てた心理学を提唱しました。彼は、人間の心理的健康は愛と自由に根ざしており、これらの要素が不足すると心理的な問題が生じると主張しました。彼の著書『愛するということ』(The Art of Loving)は特に有名です。
エスケープ・フロム・フリーダム: フロムは、現代社会における人々の孤独や不安は、個人が自由を持つことへの恐れから生じると考えました。彼の著書『自由からの逃走』(Escape from Freedom)では、現代社会における自由の価値とその心理的影響について探求しました。
社会的キャラクター: フロムは、社会的な要因が個人の性格形成に与える影響にも関心を持ちました。彼は、異なる社会環境や文化の中で育った人々が共通の特徴を持つことを指摘し、それを「社会的キャラクター」と呼びました。
精神分析の拡張: フロムは、フロイトの精神分析理論を発展させ、社会的・文化的な要素をより重視したアプローチを提唱しました。彼は、文化と個人の心理的健康との関係についての理解を深めるために、精神分析と社会学を統合しようとしました。
エーリッヒ・フロムの著作は、個人の心理的な成長や人間関係、社会的な問題に関する理解を深めるための貴重な資源となっています。彼のアイデアは現代の心理学や社会学において広く引用されており、彼の影響力は今日でも大きいです。

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