哲学の歴史は、世の中で言われてきたことに対する批判的思考の歴史である。長い歴史の中で、哲学者が向き合ってきた問いは、以下の2つに整理できる。
- 世界はどのように成り立っているのか → Whatの問い
- その中で私たちはどのように生きるべきなのか → Howの問い
古代より、多くの哲学者が向き合ってきた問いがこの2つに収れんされるにもかかわらず、多くの哲学者の論考が存在するのは、この2つの問いに対する決定打とも言える回答が、未だに出てきていないことの証左でもある。
提案の後に批判があり、そして再定案がある
なんらかの哲学的な問いに対し、哲学者なりの答えを打ち出す。その答えが説得力のあるものであれば、しばらくの間は世間に受け入れられ定番として普及する。
しばらくの後に、現実が変化し定番とも思われていた答えでは現実にそぐわない側面が露見してくる。すると別の哲学者が新たな回答で以て批判と共に提案し、その解答に説得力があれば、またしばらくの間は世間の定番として普及する。
哲学の歴史とは、そのようなことの繰り返しである。
変化する現実、に対する批判的思考
かつてはうまくいっていた仕組みを、現実の変化に適応する形で変更していく。現在の考え方や取り組みを批判的に見直し、自分たちの構えを変化させていく。
こう書くと、そんなことは当たり前だ、と捉える思考に落ち着くが、その当たり前が多くの人や企業にとって難しい現実である、ということも世間や歴史、そして自身の知見と体験が教えてくれる。
なぜ難しいのかを端的に説明すると、変化には必ず否定が伴う、という点が挙げられる。新しい考え方や動き方を取り入れるときの障壁は、そのものを取り入れる=始めることよりも、それまでのものを批判的に捉える=終わらせることである。
意識的な知的態度と切り口を得る
これまでは通用していた考え方に対し、一旦意識的に批判して見直してみる。現実にうまく適応できていない、説明できないのだとするなら、その理由を考察して新しい考え方を提案する。
対象となる事象は人や組織で異なるものの、どんなことにでも共通して求められるのは上記のような取り組みである。そしてこれは、哲学者が連綿とやってきたことと一致する。
「自分たちの行動や判断を無意識のうちに規定している暗黙の前提」に対し、意識的に批判と考察をしてみる、という知的態度とその切り口を得るための一助が、哲学である。

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