1972年にアラン・ケイが記した論文「A Personal Computer for Children of All Ages」には、Appleのi Padのような、ダイナブックというコンセプトを説明するために用いた図が存在する。2024年時点から考えると、52年、約半世紀も前のことだ。アラン・ケイは、半世紀後の未来にどのようなものが開発されているのかを予測していた、ということだろうか。
予測と実現の逆転

上の図が、先述したアラン・ケイが1972年に描いた図だ。この図は、現在を生きている我々がどのようなものを利用しているのかを予測して描いた図、ではなく、アラン・ケイ自身も言っていることだが「こういうものがあったらいいな」と考え、そのコンセプトを絵にして、更にはそれが実際に生み出されるように粘り強く運動したのだ。
そこに「予測」と「実現」の逆転が見られる。我々が生きているこの世界は、偶然このように出来上がっているわけではない。どこかで誰かが行った意思決定の集積によって、世界の風景は描かれている。同じく、未来の世界の景色は、今この瞬間から未来までのあいだに行われる人々の営みによって、決定されることになる。
だとすれば、本当に考えなければいけないのは「未来はどうなるのか?」という問いではなく「未来をどうしたいのか?」という問いであるべきだ。アンドロイドの研究で名高い大阪大学の石黒浩先生は、アラン・ケイと面会した際「ロボットの未来に可能性はあるのでしょうか?」と質問したところ、アラン・ケイから叱責されたそうな。
「お前はロボットを研究する立場にある人間だろう。そういう立場にある人間が、そんなことを他人に聞いてどうする。お前自身は、ロボットというものを人間にとってどういうものにしたいと思っているんだ?」と聞き返され、「アタマをガツーンとやられた感じがした」と述懐している。
予測は外れる
さて、未来は予測するよりもそれをビジョンとして思い描くべきものだ、というポジティブフルな考え方を、理想やマインドセットとは別の角度、歴史を振り返ることで見えてくる実際にあった事象、から補強してみよう。そのコンセプトはずばり「予測は外れる」だ。
身近な事態の予測ということで、昨今の日本でも危機感をもって伝えられている、少子化による人口減少について。他国における過去の少子化による人口減少の予測は、これまでほとんどが外れているという事態が起こっている。人口増を受けた二大国、アメリカとイギリスの例を見てみよう。
アメリカの出生率は1920年代に低下し始め、1930年代まで下がり続けた。この事態を受けアメリカ政府は1935年に人口予測を発表、30年後となる1965年には、人口は3分の2まで減少するだろうということであった。ところが、第二次世界大戦が始まると共に結婚率、出生率は共に大幅に上昇、人口減が予測されていた1965年にはベビーブームが到来した。
イギリスでは20世紀初頭に出生率が大きく低下し、政府と研究機関が様々な前提で人口予測を作成した。作成された全17パターンを現在振り返ってみると、そのうち14は人口減少を予測していて完全に外れ、残りの3つも人口増を予測したものの、実際の増加を遥かに下回るものでしかなかった。結論、全17パターンが全て外れた、ということだ。
悲劇に見舞われる、しかも最大の
大国における、統計がしっかりと整備されている人口動態という、未来予測がつきやすそうな分野でもこのザマということで、これが他分野ともなると、その内容によってはとても悲惨な事態を招くことがある。典型例として、現在を生きる我々の多くが手にしている携帯電話に目線を向けてみよう。
1982年、当時は全米最大の電話会社であったAT&Tは、コンサルティング会社最大手のマッキンゼー・アンド・カンパニーに「2000年時点での携帯電話の市場規模の予測」を依頼、最終的に出された回答は「90万台」であった。この回答を受け、1984年にAT&Tの社長であったブラウンCEOは、携帯電話事業を売却するという経営判断を下した。
実際にはどうだったのか。2000年時、携帯電話の普及台数は1億台を突破し、かつ3日毎に「100万台」が売れる、という状況であった。AT&Tがどうなったかというと、電話のモバイル化の流れに乗り遅れ経営難となり、1984年に売却したかつてのグループ企業であるSBCに買収され、消滅するという皮肉な最後を迎えた。
莫大な調査費用をかけ、超一流のリサーチャーを使って行われた予測であったにもかかわらず、文字通り「けた外れのスケール」で外れている。これは何も、コンサルティング会社の能力や予測モデルに問題がある、ということではない。世の中の専門家と呼ばれている人たちの予測というのは「外れるのが当たり前」ということだ。
人類はいつからか「予測」というものができるようになった。そうして「予測」が必要だと思われる事象に対し「予測」をするようになり、その結果「予測」というものに頼りすぎるようになってしまった。最後にアラン・ケイのメッセージを。”The best way to predict the future to invent it”(未来を予測する最善の方法はそれを発明することだ)

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