疎外というのは、人間が作り出したものが人間から離れてしまい、むしろ人間をコントロールするようになることを指す。多くの解説では「よそよそしくなる」という説明がなされているが、「よそよそしくなる」だけなら大した実害はない。大きな問題となるのは、人間が作り出したシステムにより人間が振り回されるようになる、という点だ。
資本主義社会にて発生する4つの疎外
マルクスは著書「経済学・哲学草稿」にて、資本主義社会の必然的帰結として4つの疎外が発生する、と指摘している。
- 労働生産物からの疎外
- 労働からの疎外
- 類的疎外
- 人間からの疎外
労働生産物からの疎外
資本主義社会において、労働者が生み出した商品は全て、資本家のものとなる。マタギが仕留めた熊を家に持ち帰るのは当然のことだ。しかし、会社で働く従業員が労働の上で作り上げた商品を家に持ち帰ることは許されない。作り上げた商品は、会社の資産であり、つまりは株主=資本家のものだということになる。
自らが労働して作り上げた商品にもかかわらず、自分のものではなく、しかもそれが世に出ることで自らの生活が影響を受ける。これが労働生産物からの疎外だ。
労働からの疎外
現在においては必ずしも適切ではないかもしれないこの指摘の中身は、労働中の労働者は、多くの場合、苦痛や退屈さを覚え自由が抑圧された状態にある、ということを指す。アダム・スミスをはじめとした古典派経済学者たちが分業による生産性の向上を唱えた結果、労働は人間にとって退屈でできれば避けたいものへと堕落してしまった。
そうした状況をマルクスは問題視する。本来、労働というのは人間にとって創造的な活動であるべきだ、と考え、これが賃金労働制によりゆがめられていると指摘した。人間は、労働をしている間は自己を感じることができず、労役から解き放たれて初めて独立した自分となることができる。これが労働からの疎外である。
類的疎外
上記2つの疎外により行き着くのが、類的疎外となる。「類的」とは原書によれば「gattung」でこれを英語で引くと「speicies」なるため、「種」というニュアンスに近いかもしれない。厳密には「gattung」と「species」は異なるようで、原書を英訳したマーチン・ミリガンは、元々のドイツ語が持っているニュアンスを訳するのに大変苦労したと述懐している。
マルクスによれば、人間は類的存在、つまりはある「種類」に属しており、そこで健全な人間関係をを形成する生き物だということになる。しかし分業や賃金労働により健全な人間関係は破壊され、労働者は資本家が所有する会社や社会の、言わば「機械的な部品=歯車」となってしまっている。これが類的疎外だ。
人間からの疎外
わかりやすく記すなら、「人間らしさ」からの疎外となる。資本主義社会において、労働者である人間の価値は、社会や会社の歯車としてどれだけ有効に働くか、つまり「生産性」だけが問われることになる。こうなると人間が追い求めてしまうのは、どれだけ短く手軽な労働で多くを稼ぐかということになり、人間らしい「労働」や「贈与」の喜びは失われてしまう。
そうして、行き着く先として考えられるのは、他人からいかに奪うか、他人をどうやって出し抜くか、ということに専心してしまい、人間同士の関係性を悪い方向へと導くこととなる。これが人間からの疎外だ。
様々な領域で発生している疎外
先述した4つの疎外について、マルクスはもともと、資本主義社会のもとで展開されてる労働と資本の分離、あるいは分業による労働のシステム化がもたらす弊害として、疎外を整理した。ここで疎外を、もう少し広い射程を持った概念、「自分たちが生み出したシステムにより自分たちが振り回され、毀損される」ことだと考えてみる。
資本市場
人間が社会のため、世の中のためにと作り出した資本市場も、いまではこれを制御できる人は誰もおらず、制御どころかどのような振る舞いをするのかを予測することすらできず、これに関わっていると自覚している人、自覚はしていないが実は密接に関わっている人、多くの人が振り回されている。
企業における人事評価体系
人事評価とは、組織のパフォーマンスを最適化するという目的のために、人の能力や成果を適当に評価することを目論んで人為的に設計されたシステムである。しかし多くの企業において目的は達成されず、実際にはただただ人事評価制度そのものを回すことに終始され、且つそれが目的化されてしまっている。
ルールやシステムで縛るのではなく理念や価値観により行動する
会社や社会において、何か問題があると、システムを作ることで解決しようとする。しかし、そのシステムにより当初の問題が解決するかというと、これはどうであろうか。多くの場合、新しいシステムにより別の問題が発生し、しかも元から存在した問題は解決されず、放置されてしまうことがままある。
企業活動における倫理的な側面での規律は、何をさておいても企業経営に携わる人々の倫理観や道徳観による。この部分についての手当てを考えることなく、ルールを与え、その遵守状況を外側から監視することに膨大なエネルギーをかけても、結局のところ問題は解決しない。
会計規制をどんなに整備したところで、粉飾決済がいつまで経っても根絶できない状況からも明らかだ。ルールやシステムで人の感情や行動をコントロールしようとすれば、そこには自ずと疎外が発生する。であれば、望ましいのは、理念や価値観といった内発的なものによって行動を促されることではないだろうか。
カール・マルクス
カール・マルクス(Karl Marx, 1818年5月5日 – 1883年3月14日)は、ドイツの哲学者、経済学者、社会学者であり、共産主義思想の基礎を築いた人物として知られています。彼の理論は、社会の経済構造が人間の意識や文化を形成するという視点に基づいており、特に資本主義の矛盾と階級闘争を通じた社会変革の必要性を説きました。マルクスは、資本主義社会の発展に伴う労働者の搾取と疎外を批判し、共産主義社会の実現を目指しました。
主な著作
『共産党宣言』(The Communist Manifesto, 1848年):フリードリヒ・エンゲルスと共著したこの著作では、資本主義の発展と矛盾を指摘し、プロレタリア(労働者)階級がブルジョワジー(資本家)階級に対抗し、社会主義社会の実現に向けて革命を起こすべきだと主張しました。
『資本論』(Das Kapital, 1867年 – ):マルクスの代表的な経済学著作であり、資本主義の経済構造や労働価値説、剰余価値の理論について論じたものです。この中で、資本主義の生産関係が労働者の搾取に依存していることを解明し、資本主義の不安定性や矛盾について考察しました。
理論と概念
唯物史観(Historical Materialism):マルクスは、歴史を動かす原動力は物質的な生産活動にあると考え、「下部構造(経済的基盤)」が「上部構造(法・政治・宗教・意識形態など)」を決定すると主張しました。下部構造とは、人々がどのように生産を行い、それを分配するかという経済的な関係を指し、これが人間の意識や文化、政治制度などの上部構造を規定するという理論です。また、社会は常に変化しており、その変化の過程で支配階級と被支配階級の階級闘争が繰り返されてきたとしました。例えば、封建社会から資本主義社会への移行は、貴族と資本家の対立が原因であり、資本主義社会の矛盾が深化すると次は社会主義への移行が不可避になると主張しました。
階級闘争:マルクスは、資本主義社会では生産手段を持つブルジョワジー(資本家階級)と、労働力しか持たないプロレタリアート(労働者階級)との間に根本的な対立があると指摘しました。ブルジョワジーは利益を追求するためにプロレタリアートの労働を搾取し、プロレタリアートは生きるために労働を提供しますが、その労働から得られる価値の大部分が資本家に吸い上げられます。この階級構造が資本主義の根本的な矛盾であり、資本主義の発展に伴いこの対立が激化し、やがて労働者階級が革命を起こすと予想しました。
労働価値説:マルクスは、商品の価値はその生産に要する労働時間によって決定されるとする労働価値説を基礎としました。資本主義において、労働者は自分の労働力を資本家に売り、その対価として賃金を受け取りますが、実際には労働者が生み出す価値(労働によって生産される価値)は、労働者に支払われる賃金を超えています。この超過分が剰余価値であり、資本家が利潤として取得します。つまり、労働者の搾取の根本は剰余価値の剥奪にあるとしました。
疎外(Alienation):マルクスは、資本主義社会において、労働者は自分が生産したものや労働そのものに対して疎外されると考えました。この「疎外」は、労働者が自己の労働を支配できず、労働が苦痛であり、生産物や他人との関係においても疎外される状態を指します。具体的には、労働者は生産物に対する所有権を持たず、また他者(資本家)に支配されるため、自らの活動や自己実現を感じられなくなるとしました。マルクスにとって、疎外は資本主義の構造的な問題であり、これが労働者の不幸の原因であると考えました。
革命と共産主義社会のビジョン:マルクスは、資本主義が発展する中でその矛盾が深まり、やがてプロレタリアートが蜂起し、資本主義を打倒して新たな社会主義・共産主義社会が誕生すると考えました。共産主義社会においては、生産手段が共有され、階級が存在しない社会を目指し、「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という原則が実現されるとしました。共産主義社会では、労働の疎外が解消され、全員が自由に自己を実現することが可能な社会が到来するとしました。
影響と評価
マルクスの思想は、20世紀における世界の政治や社会に深い影響を与えました。ロシア革命や中国革命など、多くの社会主義運動が彼の思想に基づいて行われ、マルクス主義は一つのイデオロギーとして広く受け入れられました。彼の理論は、労働運動や社会主義、共産主義思想の基盤として、経済学や社会学、政治学の分野においても重要な影響を与え続けています。
しかし、マルクスの思想は批判の対象にもなり、特にその経済理論や歴史発展に対する予測の正確性が議論されています。また、20世紀に行われた共産主義革命の多くが独裁や人権抑圧を伴ったため、マルクス主義の政治的な実現方法には様々な批判が集まっています。

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