創造的な問題解決能力を著しく毀損する「予告された報酬」-エドワード・デシ

多くの企業において最重要課題となっているイノベーション。個人の創造性とイノベーションの関係は単純ではなく、個人の創造性が高まったからといってすぐにイノベーションが起きるわけではない。しかし個人の創造性が必要条件の大きな一部であることは論を待たない。

では、個人の創造性を外発的に高めることは可能かどうか。こちらを考察する一助として、ろうそく問題について取り上げる。

規定された用途から自由になれない「機能認識の固着」

1940 – 50年代に心理学者のカール・ドゥンカーが提示した「ろうそく問題」について。下図Aを参考に、テーブルの上にろうが垂れないようにろうそくを壁に付ける方法を考えてほしい、という内容だ。

この問題について、多くの成人はだいたい7~9分程度でBのアイデアに思い至る。画鋲を入れているトレーを「画鋲入れ」から「ろうそくの土台」へと転用する、という着想が必要となる。しかし、この発想の転換がなかなかできない。

一度「用途」を規定してしまうと、なかなか人はその認識から自由になれない。この傾向をドゥンカーは「機能認識の固着」と名付けた。

「早く解けた人には報酬を与える」とした場合

このろうそく問題について、ドゥンカーの実験から17年後にニューヨーク大学のグラックスバーグは、「機能認識の固着」とは若干異なる側面を明らかにするための実験を行った。

この問題を被験者に与える際、「早く解けた人には報酬を与える」とし、アイデアを得るまでにかかる時間を計測。するとかかった時間は「際立って長くなる」ことを明らかにした。1962年に行われた実験では、平均で3~4分ほど長くかかったという結果が出ている。

これは、報酬を与えることにより、創造的に問題を課行けるする能力は向上するどころか、むしろ低下してしまうということを示唆している。

予告された報酬は問題解決能力を著しく毀損する

教育心理学の世界では、先述したろうそく問題以外の数多くの実験により、報酬、とくに「予告された」報酬が、人間の創造的な問題解決能力を著しく毀損することがわかっている。

例えばデシ、コストナー、ライアンが行った研究において、これまでに行われてきた報酬が学習に与える影響についての128件の研究について分析を行い、報酬が活動の従事や遂行、結果のいずれに伴うものであるとしても、予告された報酬は、すでに面白いと思って取り組んでいる活動に対する内発的動機付けを低下させる、という結論を得ている。

少ない努力で多くの成果を求める

デシの研究では、報酬を約束された被験者のパフォーマンスは低下し、予想しうる精神面での損失を最小限に抑えようとしたり、あるいは出来高払いの発送で行動したりするようになることがわかった。

つまり、質の高いものを生み出すためにできるだけ努力しようということではなく、最も少ない努力で最も多くの報酬を得られるために何でもやるようになる、ということだ。

加えて、選択の余地が与えられれば、タスクを遂行することで自身のスキルや知識を高められる挑戦や機会を与えてくれる課題ではなく、最も報酬が多くもらえる課題を選ぶようになる。

ビジネスの世界における報酬が示唆するもの

多くの実験結果が、通常、ビジネスの世界で常識として行われている報酬政策が、意味がないどころかむしろ組織の創造性を低下させていることを示唆している。「アメ」は組織の創造性を高める上では意味がないどころか、害悪を及ぼしているということだ。

アイゼンバーガーとキャメロンは「報酬が内発的動機付けを低下させるという警告のほとんどは間違っている」と主張しているが、少なくとも「予告された報酬が内発的動機付けを低下させる」というデシの論考については、70年代から続いた議論を経てほぼ決着がついていると考えても構わない。

報酬が個人の創造性を高めるとする論者も

経営学の世界では、未だに報酬が個人の創造性を高めるという立場を取る論者が少なくない。例えばハーバード・ビジネス・スクールやロンドン・ビジネス・スクールで教鞭をとっていたゲイリー・ハメルは、イノベーションに関連する論文や著書の中で「桁外れの報酬」による効果について言及している。ハメルがたびたびお手本として挙げているのがエンロンだった。

著書「リーディング・ザ・レボリューション」において、「年輪を重ねた革命家を生み出すためには、企業は報酬を、役職、肩書、上下関係などから切り離して決めなければならない。実際にエンロンではそうしている。同社の中にはアシスタントでも取締役を上回る収入を得ている者がいるのだ」と述懐している。

しかし我々は、エンロンや投資銀行で起こったこと、あるいは現在のITベンチャーで起こっていることが、デシの指摘する「本当に価値があると思うことではなく、手っ取り早く莫大な報酬が得られる仕事を選ぶようになる」という事態であったことを知っている。

人に創造性を発揮させようとした場合「ムチ」はどうなのか

人に創造性を発揮させようとした場合、報酬、特に予告された報酬は効果がないどころか、むしろ人や組織の創造性を破壊してしまう。報酬=アメは逆効果になるが、では一方の「ムチ」はどうなのか。こちらも、心理学の知見からはどうも分が悪い。

人間の脳には、確実なものと不確実なものをバランスさせる一種のアカウンティングシステムという側面がある。何かにチャレンジする、というのは不確実な行為となるため、これをバランスさせるためには「確実な何か」が必要となる。

安全基地となるセキュアベースが必要

セキュアベース(Secure Base)とは、心理学者メアリー・エインズワースが名付けた言葉で、「安全基地」を意味する。このセキュアベースについて、イギリスの心理学者ジョン・ボウルビィは「幼児の発達過程において、幼児が未知の領域を探索するには、心理的なセキュアベースが必要になる」とい説を唱えた。

ボウルビィは、幼児が保護者に示す愛着の情、そこから切り離されまいとする感情を「愛着=アタッチメント」と名付けた。そして、そのような愛着を寄せられる保護者が、幼児のセキュアベースとなり、これがあるからこそ、幼児は未知の世界を思う存分探索できる、という説を主張した。

挑戦と失敗における考え方とその影響

セキュアベースを援用して考えてみれば、一度でも失敗をしてしまうと会社で出生ができない、あるいは社会において立ち直ることができないという考え方が支配的な日本よりも、どんどん転職や起業をして失敗したらまた挑戦すればいいという考え方が支配的なアメリカの方が、セキュアベースがより強固であるように思える。

であればこそ、幼児と同じように未知の世界へと思う存分挑戦できる、という考え方が導き出される。人間が創造性を発揮するためには、「アメ」も「ムチ」も有効ではなく、挑戦が許される風土が必要で、その中で人が敢えてリスクを冒すのは「自分がそうしたいから」ということになる。

エドワード・デシ

エドワード・デシ(Edward L. Deci, 1942年 – )は、アメリカの心理学者であり、自己決定理論(Self-Determination Theory, SDT)の共同提唱者として知られています。彼の研究は、モチベーション、特に内発的動機づけ(intrinsic motivation)と外発的動機づけ(extrinsic motivation)に関するものが中心であり、人間がどのようにして自己決定的に行動するか、その結果としての幸福感やパフォーマンスに関する研究を行っています。デシは、自己決定理論を通じて、モチベーションと心理的健康における自由や自律の重要性を強調しました。

自己決定理論(SDT)とは?

自己決定理論(SDT)は、デシとその共同研究者であるリチャード・ライアン(Richard M. Ryan)によって提唱され、人間のモチベーションを理解するための包括的なフレームワークです。この理論では、個人の行動は、内発的な欲求や自発的な選択から動機づけられる場合と、外部からの報酬や圧力によって動機づけられる場合の2つに大きく分けられます。デシとライアンの理論は、個人が「なぜ行動するのか」を探求し、その動機が心理的な健康やパフォーマンスにどう影響を与えるかを説明します。

内発的動機づけと外発的動機づけ

  • 内発的動機づけ:活動そのものが楽しい、または興味深いと感じるために行動する動機。例えば、読書が楽しいから本を読む、スキルを磨くことが喜びだからスポーツに打ち込むなどが当てはまります。内発的動機づけが高い場合、個人はより持続的で、自己決定的な行動を取る傾向があります。
  • 外発的動機づけ:外部の報酬や評価を得るために行動する動機。例としては、報酬を得るために仕事をする、評価されるために勉強する、罰を避けるためにルールに従うなどがあります。

自己決定理論の3つの基本的欲求

自己決定理論の中心には、人間が幸福感や充実感を得るために満たされるべき3つの基本的な心理的欲求が存在します。これらの欲求が満たされると、内発的動機づけが高まり、ポジティブな行動が促進されるとされています。

  • 自律性(Autonomy):自分で意思決定し、自らの行動をコントロールする能力に関する欲求です。人々は、自分の選択や行動が他者や外部の力に強制されるのではなく、自分自身の意志に基づいて行われると感じるとき、より高い動機づけを感じます。
  • 有能感(Competence):自分が効果的に環境に働きかけ、課題を達成し、成長していると感じる欲求です。人々は、適切なレベルの挑戦が与えられ、それを克服できると感じることで、より積極的に行動しようとします。
  • 関係性(Relatedness):他者とのつながりや、周囲の人々からの支持や受け入れを感じる欲求です。人々は、社会的なつながりや共感を感じることで、より強い動機づけを持ち、他者との関係を大切にしようとします。

自己決定理論の応用分野

デシとライアンの自己決定理論は、モチベーションや行動に関する幅広い領域で応用されています。特に、教育、職場のマネジメント、スポーツ心理学、健康行動の促進などの分野でその影響が顕著です。

  • 教育: 自己決定理論は、学生の学習意欲やパフォーマンスを高めるための方法として、教育現場で広く利用されています。特に、教師が学生に自律的な選択を促し、彼らの有能感をサポートすることで、内発的動機づけを引き出し、学習成果を向上させることができます。
  • 仕事・職場: 職場での自己決定理論の応用は、従業員のモチベーション向上や生産性改善に役立ちます。例えば、従業員に自律性を持たせ、達成可能な目標を設定し、フィードバックを与えることで、彼らのモチベーションと仕事に対する満足度を高めることができます。
  • 健康行動: 健康的な生活習慣を促進するために、自己決定理論は、個人が自らの意思で行動することの重要性を強調します。例えば、ダイエットや運動習慣の形成において、自律的な選択と内発的な動機づけが成功の鍵となります。
  • スポーツ: アスリートのパフォーマンス向上や長期的な成功のために、自己決定理論は重要な役割を果たします。コーチが選手に自律性を与え、挑戦的な目標を設定し、チームメンバーとの強い関係性を築くことで、選手の内発的動機づけが高まります。

重要な研究と発見

デシは、内発的動機づけに関する一連の研究を行い、特に「報酬が内発的動機づけに与える影響」についての実験で知られています。彼の実験では、外部の報酬(例:お金、賞賛)が内発的動機づけに対してどのように作用するかを調査しました。その結果、外的報酬が内発的動機づけを減少させる場合があることが示されました。これは、「アンダーマイニング効果」(undermining effect)と呼ばれています。

アンダーマイニング効果

デシの実験によれば、外的報酬が提供されると、元々は自発的に楽しんで行っていた活動が、報酬のために行われていると感じられるようになり、内発的動機づけが低下するという現象が見られました。例えば、子供が自発的に遊んでいたゲームに報酬が与えられると、報酬を得るために遊ぶようになり、その後、報酬がなくなるとゲーム自体への興味が低下することがあります。

代表的な著作

エドワード・デシは、自己決定理論やモチベーションに関する多くの著書を執筆しています。代表的なものは以下の通りです。

  • 『人を伸ばす力:内発的動機づけの理論と実践』(Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior, 1985) この本は、デシとリチャード・ライアンによる自己決定理論に基づいた内発的動機づけの理論とその応用に関する包括的な解説書です。
  • 『Why We Do What We Do: Understanding Self-Motivation』(1995) この本では、自己決定理論に基づき、なぜ人々が自らの行動を選び、どのようにしてより自主的で充実した生活を送ることができるかを探求しています。

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