集団において個人の良心は働きにくい「権威への服従」-スタンレー・ミルグラム

人間には自由意志があり、各人の行動はその意思に基づいていると考えがちだ。しかし、本当にそうなのか?という疑問をスタンレー・ミルグラムは投げかける。

まずは、社会心理学史上において世界的に有名な実験である「ミルグラム実験」を取り上げる。

権威者の命令にどこまで従うか「ミルグラム実験」

ミルグラム実験は、1961年にイェール大学で行われた一連の実験で、人々が権威者の指示に従って他者に苦痛を与える行為にどれだけ従順になるかを調べたもので、彼の最も有名な研究です。この実験は、第二次世界大戦中にナチスの戦争犯罪者が行った「命令に従っただけ」という弁明に疑問を投げかけるものでした。特に、ナチス高官のアドルフ・アイヒマンが行った主張に関する議論に関連して行われました。

  1. 被験者の役割: 被験者は「教師」の役割を与えられ、彼らは「生徒」(実際はミルグラムの協力者)の学習能力をテストするという名目で、誤答するたびに電気ショックを与えるよう指示されました。
  2. 電気ショック装置: 被験者には、電圧が徐々に高まる電気ショック装置が与えられました。実際には電気ショックは存在しませんが、「生徒」は苦しむ演技をしました。
  3. 権威者の指示: 「教師」(被験者)は白衣を着た実験者(権威者)から、「続けなさい」「これは重要な実験です」などと指示され、実験を続けるよう促されました。被験者はしばしば不安を感じましたが、権威者の指示に従い続けるケースが多く見られました。
  4. 結果: 驚くべきことに、多くの被験者は、強い不安や抵抗感を抱きながらも、最大450ボルト(致命的なレベルと表示された)まで電気ショックを与えるよう指示に従いました。約65%の被験者が、最も高い電圧まで指示に従い続けました。

「道徳的な責任を他者に委ねる」という結論

この実験は、多くの普通の人々が権威の指示に従うことで、他者に対して残酷な行為を行う可能性があることを示しました。ミルグラムは、人々が倫理的な判断を保留し、権威者の指示に従うことによって、道徳的な責任を他者に委ねることができることを証明しました。

65%に当たる人が最高強度のショックを与えた

この実験において、参加者40名の被験者のうち26名、実に65%に当たる「教師」が、「生徒」に対して最高強度の電気ショックを与えるという結果となった。

どう考えても非人道的な営みに、これだけ多くの人が、明らかに命の危険が懸念される段階まで実験を続けてしまった。なぜ、これだけ多くの人が最後まで実験を続けたのか。

自身の行為の責任を他者に転嫁する

「教師」の被験者が実験を続けた理由の仮説として挙げられるのが、「自分は単なる命令執行者にすぎない」と、自身が行った行為の責任を、指導者に転嫁しているから、と考えられる。

スタンレー・ミルグラムは更なる仮説として、「自らが権限を有し、自分の意思で手を下している感覚」の強度は、非人道的な行動への関わりにおいて決定的な影響を与えるのではないか、と考えた。

そこで「教師」を一名から二名にし、一名はボタンを押す係、もう一名を回答の判断及び電圧の数字を指示する役割とし、実験を行った。実は二名のうちボタンを押す係は演技をするだけで、本当の被験者は回答の判断及び電圧の数字を指示する役割の方のみ、となる。

本当の被験者にとって、実験への関与は最初の実験よりもより消極的なものとなる。果たして結果は、40名中37名、93%もの人が最高強度に至るまで実験を続けることとなった。

責任転嫁の度合いにより服従率は下がる

先ほどの実験の結果は、逆に責任転嫁を難しくすることで服従率も下がる、ということを意味する。

例えば指導者を二名にし、一名が「生徒が苦しんでいる、これ以上は危険だ、中止しよう」と言い出す一方で、もう一名が「大丈夫です、続けましょう」と実験の続行を促す。「教師」である被験者は、この二名の意見を同時に聞くことになる。

そうした状況下において、それ以上の電圧に進んだ「教師」である被験者は一名もいなかった。理由は、実験を続けるかどうかの意思決定は本当の被験者である「教師」に重くのしかかってくることとなり、他者への責任転嫁ができないからだ。

実験結果は国民性や状況に左右されるものではない

ミルグラム実験は、1960年代にアメリカで実施され、その後1980年代に至るまで様々な国で追試が実施された。そのほとんどが、ミルグラム実験以上の高い服従率を示した。

つまり、この結果はアメリカに固有の国民性があったり、その時代特有の社会状況に依存するのではなく、人間の普遍的な性質を反映している、と考えられる。

実験結果が示す官僚制の問題

ミルグラム実験の結果が示してくれるものとして、官僚制の問題が挙げられる。

官僚制と聞くと、日本の役所で用いられている組織のあり方と考えがちではあるが、上位者の下にツリー状に人員が配置され、権限とルールによって実務が執行される「過度な分業体制」で成り立っているのが官僚制だとすると、今日の会社組織のほとんどにおいても官僚制とみなすことができる。

ミルグラム実験では、各人の責任が曖昧になればなるほど、他者に責任を転嫁すると共に自制心や良心が働きにくくなることが示唆されている。これが悪事に当てはまった場合、ことは非常に厄介で、組織の肥大化に伴い悪事のスケールも肥大化してしまう。

典型例がホロコースト

別コンテンツにてまとめたハンナ・アーレントは、ナチスによるホロコーストは官僚制の特徴である「過度な分業体制」によって可能となった旨の分析をしている。

ハンナ・アーレントがこの分析を行う1960年代ごろまでは、600万人ものユダヤ人を虐殺した原因は、ドイツの国民性やナチスのイデオロギーに求める解釈が一般的であった。

しかしハンナ・アーレントは、「それは違う」と声をあげた。ホロコーストがナチスのイデオロギーによって成されたという整理は、ヒトラーをはじめとするナチスの指導者に責任を転嫁する考え方だと。

しかし実際にはそうではない。ドイツ以外の国民であっても、ナチス以外の組織であっても、同様の悲劇は起こりうる。狂信的な指導者が中枢で旗を振るだけでは人は死なない。銃や毒ガスを用いて、その手で罪もない人を殺していたのは、指導者ではなく、それに加担した組織内の人々であり、その多くは一般市民だった。

自制心や良心は働かなかったのか。ハンナ・アーレントは「分業」という点に注目する。ユダヤ人の名簿作成に始まり、検挙、勾留、移送、処刑に及ぶまでのオペレーションを様々な人々が分担するため、全体の責任所在は曖昧となり、ということは極めて責任転嫁のしやすい環境と状況が生まれる。

オペレーションの構築に主導的役割を果たしたアドルフ・アイヒマンは、人々が良心の呵責も苛まれることがないよう、できる限り責任が曖昧な分断化されたオペレーションとなるように心掛けた、と述懐している。

ミルグラム実験もまた、人が集団で何かをやるとき、その集団の持つ良心や自制心は働きにくくなることを示唆している。コンプライアンス違反が続出している日本だが、だからこそミルグラム実験が示唆することについて、再考する必要があるのではないか。

良心と自制心に基づいた行動を取るために

ミルグラム実験の後半において、指導者が二名となったとき、被験者である「教師」に対し片方は実験の続行を促したが、もう片方は中止しようと伝えた。それ以上の電圧に進んだ被験者はいなかったことが意味するものは何か。

人は、自身の良心や自制心を、ほんの少しでも後押しされれば、「権威への服従」をやめ、改めて自身の良心や自制心に基づいた行動を取ることができる。

人は権威に対し驚くほど脆弱ではあるが、その権威に対する少しの反対意見や、自身が持つ良心や自制心へのアシストさえあれば、自らの人間性に基づいた判断をすることができる。

これは、オペレーションやシステム全体が悪い方向に動いているとき、「これは間違っているのではないか」と最初に声をあげる人の存在の重要性を物語っている。

まとめ

現在のように分業がスタンダードとなっている社会において、私たちは悪事をなしているという自覚すら曖昧なままに、巨大な悪事に手を染めることになりかねない。

多くの企業で行われている隠蔽や偽装は、分業による責任の所在が曖昧であることが原因で、だからこそ可能になっているとも考えられる。

これを防ぐためには、自身はどのようなオペレーションやシステムに組み込まれているのか、自身がやっている目の前の仕事が社会に対しどのようなインパクトを与えているのか、俯瞰して空間的、時間的な大きな枠組みで考えなければいけない。そして改変が必要な時には、「これはおかしいのではないか、間違っているのではないか」と声を上げる勇気が求められている。

スタンレー・ミルグラム

スタンレー・ミルグラム(Stanley Milgram, 1933年8月15日 – 1984年12月20日)は、アメリカの社会心理学者であり、特にミルグラム実験(Milgram Experiment)を通じて、人々が権威に従う傾向を研究したことで知られています。彼の研究は、個人の行動がどのように権威に影響されるか、特に倫理的な判断が揺らぐ状況においてどのように振る舞うかを探求しました。ミルグラムの仕事は、心理学、社会学、倫理学など多岐にわたり、現代社会における権力と従順性に関する議論に大きな影響を与えました。

ミルグラム実験の影響と応用

ミルグラムの研究は、当時の心理学と社会学に大きな衝撃を与え、その後の倫理的議論にも影響を与えました。彼の実験は、以下のような多くの分野に応用されました。

  • ホロコースト研究: ミルグラム実験は、ホロコーストのような大量虐殺がどのように可能になったのかを理解するための重要な枠組みとして使われています。普通の人々が、強い権威の下で、どれほど残酷な行為に従事するかを示したことは、戦争犯罪の弁護や批判においても繰り返し参照されています。
  • 社会心理学: 権威と従順性に関する研究は、集団行動やリーダーシップ、教育などの分野でも活用されています。特に、個人がどのようにして倫理的判断を無視し、権力に従うかについての理解が深まりました。
  • マーケティングや広告: ミルグラムの研究結果は、消費者行動や広告にも応用されています。企業が権威を利用して消費者に影響を与える方法や、消費者が権威的なメッセージにどれほど従順になるかを理解するための手がかりを提供しています。

倫理的な批判

ミルグラム実験は、多くの成果を生んだ一方で、倫理的な批判も受けました。実験に参加した被験者は、重大な心理的ストレスを経験し、一部の被験者は実験後も深い後悔や苦悩を抱えました。このため、実験の倫理的な正当性が議論され、心理学における被験者保護のガイドラインが強化される契機となりました。

その他の研究

ミルグラムは権威への従順性に関する研究以外にも、多くの分野で貢献しました。特に、小さな世界現象(Small World Phenomenon)として知られる「6次の隔たり」(Six Degrees of Separation)の研究でも知られています。これは、地球上の誰もが他の誰かと6人以内のつながりを通じて接続されているという仮説を検証したものです。

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