実は人脈が広くない「自己実現的人間」-エイブラハム・マズロー

別途まとめた「自己実現を成し遂げた人に共通する15の特徴」より、「5.超越性-プライバシーの欲求」と「10.対人関係」を取り上げる。この2項目から読み取れるのは、マズローが「自己実現的人間」と見なす人は、孤立気味であり、また人脈も広くはないということになる。

我々が考える、いわゆる「成功者」のイメージとは異なる人間像である「自己実現的人間」を考察する。

自己実現を成し遂げた人に共通する15の特徴
https://db.fridayslion.com/203/

人間関係の浅さと深さについての再考

一般的に、友人や知人等の人脈は、広ければ広いほど良い、と思う傾向にある。仕事で声をかけてもらう、何かあったときには助けてもらう、そうしたことの実現がより容易であるのは想像に難くない。

ここ10年程の現代に目をやれば、そうした思惑の再現がFacebookやX(旧ツイッター)といったソーシャルメディアのフォロワー数という概念に現れている。

しかしマズローの考察によれば、「自己実現的人間は」、むしろ孤立気味で、ごく少数の人とだけ深い関係を作っている。先に挙げたソーシャルメディアを通じて「薄く、広く」なっている現代の人間関係について、再考すべき契機なのかもしれない。

中国の思想家荘子による指摘「君子の交わりは淡きこと水の如し」

荘子が記した山木編に「小人の交わりは甘きこと醴の如し、君子の交わりは淡きこと水の如し」という言葉がある。

醴とは甘酒のような飲み物のことで、モノゴトをわきまえない小人物の付き合いはベタベタとしており、その逆である君子の付き合いは、水のようにあっさりとしている、という意味合いである。

更に以下のように続く。「君子は淡くして以って親しみ、小人は甘くして以って絶つ。彼の故無くして以って合する者は、即ち故無くして以って離る。」

君子の交友は淡いからこそ続き、小人の交友は甘いが故にすぐに終わる。ただ「一緒にいるためだけに一緒にいる」ような付き合いはすぐに終わるのだ、ということだ。

そして、小人の交わりは「故無くして合する」、すなわち「自立」という観点がなく、お互いがお互いに依存している状況となってしまう。そこから抜け出せずに、ベタベタと付き合うこととなる。

心理学で整理する「共依存」という概念

自立という観点がなく、人と人がお互いに依存している状況を心理学では「共依存」という概念で整理する。

元々はアルコール依存症の患者がパートナーに依存しながら、また同時にパートナーも患者のケアという行為に自分自身の存在価値を見出していくような状態がしばしば観察されたことから、看護現場において生まれた概念である。

共依存の関係にあることで生まれる状況

アルコール依存症患者とそのパートナーによる報告で多く挙げられる内容として、以下のようなものがある。

患者とパートナーにとって、アルコール依存症そのものが関係性を維持するための重要な要素となっていることを、無意識のうちに理解している。治癒につながるような活動を妨害(イネーブリング)したり、自立する機会を阻害したりする。

こうした行為は、パートナーから患者に対してだけではなく、患者からパートナーに対してだけでもなく、時には両者が自身に対しても見られるのである。

表面上は他者のためとも取れる自己本意な欲求

共依存という状況にある人は、表面的には「他者のために」という名目でケアを行う。そして本人自身もそう自覚している。

しかしながら、実は内に「自己本意」と言える存在確認の欲求を秘めている。これが「共依存」の関係である。

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