ユングは、パーソナリティのうち外界と接触している部分をペルソナという概念で説明している。
ペルソナとは、一人の人間がどのような姿を外に向かって示すかということに関する、個人と社会的集合体とのあいだの一種の妥協である、とユングは説いている。元来、ペルソナとは古典劇において役者が用いるお面のことである。
実際には、妥協の範囲は明確に意識されているわけではなく、どこまでが面でどこまでがそうではないのか、という問いが常についてまわる。
仮面を被って生きるということ
パントマイムを芸術の域まで高めたマルセル・マルソーのパフォーマンスに、自分の着けている仮面がはがれなくなって困るピエロの話がある。着けている仮面がはがれなくなる、という話には、我々の背筋を冷たくさせる何か本質的なものが隠されていることを感じさせる。
レオンカヴァロ作のオペラ、道化師。イタリアで実際に起こった事を題材にしたもので、劇中劇の中で主人公は、劇と現実の区別がつかなくなってしまい、妻とその想い人を殺してしまう。マルソーのパフォーマンスとは逆に、仮面をつけてやり過ごすべきときに、そうではない自分を露出してしまうことの危険性を語っている。
こう考えると、自分とペルソナの不一致はネガティブなものに捉えがちだが、ことはそう単純ではない。人の人格は多面的なもので、ある場所でまとっていたペルソナを別の場所では別のペルソナに切り替えることで、なんとか人格のバランスを保って生きている、というのが人間の実際の姿である。
多重人格性の必要性
人間がある程度、心地よく生きていこうとするのであれば、一種の多重人格性が必要ではないか。
我々は所属する会社や学校、家庭や友人関係、組織やコミュニティにおいて、色々な立場や役回りを持っているが、それらはすべて、一貫したアイデンティティを有しているわけではない。一方でAの意見を放っている人が、もう一方ではBの意見を放っていたりするわけで、そこに通底したパーソナリティを見出すことは難しい。
しかし、だからこそ社会は成り立ってきたのであろうし、ということはこれからも成り立っていくためには、必要な性質だと捉えることができるのではないだろうか。
人格のバランス
立場や役回りを縦のサイロと考えた場合、そのサイロに横串は通さない方がいい。
サイロそのものは自分で建てようとして建てるケースもあれば、人生の流れの中で建ってしまったものもあり、必ずしもすべてのサイロを納得の上で有しているわけではない。しかし、バランスとしてはそれらサイロによるポートフォリオで以て、人は自身の人格を維持している。
こうしたサイロに、強烈な横串が通り始めていることが見受けられる。
現代社会を原因としたバランスの崩壊
一例として、いじめという行為は古代から存在していたであろうが、それが現代になってこれほど問題の深刻度が増しているのは、いじめに合っている人が、いじめに合う空間とそうではない空間という二つのサイロを、使い分けることができなくなってきているのではないか、と考えられる。
学校や会社でいじめに合っても、一旦家に帰れば物理的にも心理的にも、いじめからは距離を置くことができる。しかしそこに、携帯電話というツールが存在することによって、それがもたらすバーチャルな横串は、学校や会社というサイロから心理的に分離することを、いじめに合っている人に対して許しはしない。
これは家庭と職場、さらにはどちらにも属さない個人という三つの人格要素を有するサラリーマンと言われる人々にも該当することである。
結論は逃げる
サイロのポートフォリオによりうまくバランスをとって生きていくという、人類が古代からやってきた生きる戦略と呼ぶべきものが機能しなくなりつつある。
これは、多くの人が中々気付けない事象でありながらも、確実に身の回りで少しずつ、自身を含めたすべてを蝕んでいる、大変な問題ではないだろうか。
もし、世の中がそのような流れでかつ止められないのだとしたら、どうすべきであろうか。サイロのポートフォリオでバランスをとる戦略は機能しないため、一つ一つのサイロそのもののスクラップアンドビルド、つまり気に入らないサイロや許容しがたいサイロからは逃げてしまえ、というのが重要な考察となる。
カール・グスタフ・ユング
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 – 1961年6月6日)は、スイスの精神医学者、心理学者、精神分析家です。彼はフロイトと並んで精神分析学の重要な人物の一人として知られていますが、後にフロイトとの間で理論の相違が生じ、独自の心理学的理論である「ユング心理学」を発展させました。
ユングは個人の無意識が重要な役割を果たすと考え、人間の心理学的な理解を深めるために、夢分析やシンボル解釈、集合的無意識という概念を用いました。彼の理論は、人間の個々の心理だけでなく、人類の共通した心理的遺産や文化的なシンボルにも焦点を当てています。
集合的無意識: ユングは、人類共通の無意識領域である「集合的無意識」を提唱しました。集合的無意識には、人類共通のアーキタイプやシンボルが存在し、これらが人間の行動や文化に影響を与えると考えられています。
アーキタイプ: ユングは、集合的無意識に存在する普遍的なイメージやパターンを「アーキタイプ」と呼びました。アーキタイプは、神話、宗教、夢、芸術などの文化現象に表れ、個人の行動や経験にも影響を与えるとされます。
夢分析: ユングは夢を無意識の表現と捉え、夢のシンボルやイメージを通じて個人の内面を理解しようとしました。彼は夢の中に現れるシンボルやアーキタイプに注目し、その意味を解釈することで個人の心理状態や潜在意識を探求しました。
個人的無意識: ユングは、個々の人間が持つ個人的な無意識も重要だと考えました。個人的無意識には、個人の経験やトラウマ、抑圧された思考や感情が含まれます。

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