「努力すれば報われる」ではない動機付けの思考論「予定説」-ジャン・カルヴァン

カルヴァンの思想体系が、今日の民主主義・資本主義の礎となり、世界史に大きな影響を与えた。

では、その思想体系とはいったいどういうものなのか。カルヴァンは、マルティン・ルターのプロテスタンティズムをより洗練し強固なものにした上で、大きな影響力を発揮した。

影響力に与した要素のいったい何が重要なポイントであったのか。最大のカギは「予定説」にある。

「あらかじめ定められた」予定説という考え方

予定説の考え方は、「ある人が神の救済にあずかれるかどうかは、あらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことは、まったく関係がない。」とするもの。

この説は、カルヴァン独自の思想なのか。歴史を紐解けば、そうではないことがわかる。ルター以上に聖書と徹底的に向き合ったカルヴァンは、聖書に予定説として読める部分があちらこちらに存在していると捉えた。

これを今日のキリスト教の普遍的な協議である、と捉えるのは間違いで、最大教派であるローマ・カトリック教会は正式に「予定説は異端である」としていたり、東方正教会ではこれを批判するアルミニウス主義を採用している。予定説は、プロテスタントを中心にして見られる協議であるという一文を添えておく。

そんな、「後利益のなさそうな説」が、進化論的に表現すれば淘汰されることなく当時の世間で受け入れられ、その後に民主主義や資本主義の礎となったのはなぜなのか。

動機付けと不協和

報酬が約束されるから努力するための動機が生まれる、と考えるのが、社会に出た後も出る前においても、通例と捉えることができる考え方である。

予定説はこれを否定しており、努力は関係なく、報酬はあらかじめ決まっている、と考える。

努力に関係なく、報酬はあらかじめ決まっている。善行を積んだか、さらに言えば悪行を重ねたかに関係なく、救済されるかどうかは決まっている。だとすると、人は頑張れないし無気力になるのか。

だからこその精神

実際のところはどうだったのか。歴史に目を向けてみると、見えてくるものがある。

カルヴァン派の予定説が資本主義を発展させた、という理論を展開したマックス・ヴェーバーの論理として「全能の神に救われるようにあらかじめ定められた人間であれば、禁欲的に天命を務めて成功する人間だろう、と考え、自分こそ救済されるべき選ばれた人間なんだ、という証を得るために、禁欲的に励もうとした。」というのがある。

ここでいう天命とは、ドイツ語でBerufがあたるが、この単語には職業という意味もある。

動機付けを減退させる予告された報酬

学習心理学の世界では、予告された報酬が動機付けを減退させることが明らかになっている。

現代のほとんどの企業で、うまく機能していないと思われる人事評価制度について考えてみる。努力をし、結果を出し、評価され、報酬につながる、という一見シンプル且つ合理的なシステムが、現代社会という基盤の元で数十年かけても、未だに洗練された形で運用できていない事実があるのはなぜなのか。

このシステムは所謂、因果応報を指すものだが、このシステムに触れている多くの人が、その在り方に疑問を抱かずにはいられない。そんな感情が現代社会の根底に蔓延っているように思える。

資本主義の発展と予定説

因果応報を体現している人事評価制度とはまったく逆の予定説が、歴史における資本主義の爆発的発展に寄与したのであるならば、現代社会の人事評価制度はいったい何のために運用されているのか。

その在り方について、あらためて考えてみる必要があるように思える。

ジャン・カルヴァン

ジャン・カルヴァン(Jean Calvin、1509年7月10日 – 1564年5月27日)は、フランスの宗教改革の指導者であり、プロテスタントの宗教家です。彼はルネサンス期のフランスで生まれ、後にジュネーヴ(当時は神聖ローマ帝国の一部)で活動しました。

カルヴァンは、マルティン・ルターに触発されて宗教改革運動に参加しましたが、彼の教えはルターのものとは異なります。カルヴァンは特に神の摂理(プレデスティネーション)と教会組織についての理論を強調し、その思想は「カルヴァン主義」として知られるようになりました。

ジャン・カルヴァンの影響は、宗教、政治、倫理、教育などの様々な分野に及び、その教えはプロテスタント教会の発展に大きく貢献しました。彼の教えは、特にスイス、フランス、オランダなどの国々で広く受け入れられ、カルヴァン主義は現代でも多くのプロテスタント教派に影響を与えています。

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